| K.N.ラオ(コタムラジュ・ナラヤン・ラオ)氏は、1990年11月、インド政府の会計監査院を退職しました。退職時には、会計監査院の最高職に就いていました。彼の父であるK.ラーマ・ラオ氏は、インド独立前から活躍した著名なジャーナリストでした。彼は、ナショナル・ヘラルドの創設に編集者として参加し、それ以後も長年にわたって30以上の新聞・雑誌社で編集者として敏腕を振るいました。ラオ氏は、その四人兄弟の次男として生れました。
ラオ氏は、12歳の時から、今は亡き母親、K.サラスヴァティー・デーヴィーから占星術を伝授されました。ラオ氏は、「結婚と子供」と「プラシュナ(ホラリー
)」を占わせたら母親の右に出るものはいないだろうと今でも思っているそうです。

ラオの母サラスヴァティー・デーヴィ
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ラオ氏は、1957年に全インドでの公募に応募して役人として採用されるまで、英語を教えていました。その後、インド政府の会計監査院に勤務し、1990年11月に退職したときには最高職にまで昇りつめていました。ラオ氏は、若いときは占星術よりもむしろゲームやスポーツに興味を持ち、チェス大会に参加して優秀な成績をおさめたほか、ブリッジ大会にも出場して二つの州で優勝しました。ラオ氏は、チェスやブリッジ以外にも10種類のゲームをこなすので、彼が書く占星術の本にゲームのたとえがよく出てきます。
在職中、ラオ氏は会計監査に関する三つの国際コースで、プランナーとオーガナイザーそして講師を務めましたが、その間に局長を3回(うち1回は兼任)務めました。仕事と占星術の双方において、彼は20年以上もの長きにわたって外国人との交友をしています。占星術家として、彼が海外ネットワークを大きくすることができたのはこのためです。
ラオ氏は、在職中に占星術の基本的な項目をすべて調べ終え、数万にもおよぶホロスコープを系統的に収集しました。収集された5万以上に及ぶホロスコープは、10の重要区分に分類・整理されています。おそらくこれは、あらゆる占星術家が所有しているデータベースの中でも、最大規模のものでしょう。
ラオ氏は、占星術家としての使命感から、クライアントからお金を全く取りません。そのために占星術の道を断念しかけたことは、一度や二度ではありませんでした。しかし、1981年12月、デリーで開かれた3日間の占星術セミナーへの参加を機に、転機が訪れました。セミナーで素晴らしいスピーチをしてからというもの、ラオ氏は、占星術に関する記事の執筆依頼を執拗に受けることになったのです。それ以来、彼は、それまで蓄えていた研究の成果を発表するようになり、やがて世界に認められるようになったのです。
1993年から1995年までの間、ラオ氏は5回渡米し、占星術のレクチャー・ツアーを行いました。1993年の全米インド占星術協会が主催する第2回大会では、ラオ氏は主賓として招かれました。ラオ氏が参加すると多くの人を集めることができるので、1994年の第3回大会では、ラオ氏は大会の初日から参加するよう依頼されました。
1995年11月の第4回大会まで、ラオ氏の名前は全米で宣伝され続けました。しかし彼はその大会で、それ以後、アメリカでの大会には参加しないことを表明しました。
ラオ氏の学術的なアプローチに惹かれて、今ではインドで千人以上、アメリカでも200人以上の生徒が集まっています。彼は、ニューデリーでバラーティヤ・ヴィディヤ・バーヴァン(Bharatiya
Vidya Bhawan)という占星術コースのアドバイザーを務めています。ここで働いている占星術の講師たちは、みなラオ氏と同じように、名誉職という立場を取っており、生徒からまったくお金を取っておりません。
なにがラオ氏を、そこまでかりたてるのでしょうか。それは、彼のホロスコープを見ればわかります。アセンダント(ラグナ)と第10室の支配星がアセンダントのハウスでコンジャンクトしており、さらに強力な木星(最高星位)が第10室に在住しています。

ラオの出生図 |
すべては彼の占星術のグル(ジョーティッシュ・グル)であるグジャラートのヨーギー・バースカラナンダによって予見されていました。ラオ氏は、自分のグルを、最後の、純粋で古典的な、典型的な聖者の占星術家(リシ・アストロロジャー)であると表現しています。ラオ氏のグルはかつてラオ氏に、「インド占星術に栄誉と名声と威厳がもたらされるまで、(ラオ氏は)世界各国をまわらなければならないだろう」と言いました。あるアメリカ人は、1993年、ラオ氏が初めてアメリカに来たときの衝撃を、「ラオ氏以前のインド占星術と、ラオ氏以後のインド占星術」という言葉で表しています。

スワミ・バスカラナンダ師
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多くのヨーギーが、ヴェーダンタ哲学としての占星術をあきらめないように彼を励ましたことは、彼の著書「星を見つめる聖者たち(Yogis,
Destiny and the Wheel of Time)」に書かれています。
占星術家という仕事は、報酬目当てでぼったくりの要素があるために一般に評判が悪いものですが、ラオ氏は、占星術「屋」にはなりたくないという強い思いがあります。そのせいで、彼は多くの称賛を受ける一方、ラオ氏に脅威を感じる一部の占星術「屋」からは敵視されてきました。それは、ラオ氏の周りに200人以上の人が集まり、みなラオ氏と同様、占星術は生計を立てるためのものではなく、人生の目的と意味を知るための超科学であり、ヴェーダンガ
としての占星術はそうであったし、そうあり続けるべきである、と考えているからです。
ラオ氏のマントラ・グルであるスワミ・パラマナンダとジョーティッシュ・グルであるヨーギー・バスカラナンダは、どの本にも載っていない占星術の秘儀を、ラオ氏に伝授しました。ラオ氏は、その秘儀の一部を著書「星を見つめる聖者たち」で公開しています。最新の基本的かつオリジナルな調査結果は、著書「ジャイミニのチャラ・ダシャーによる予言(Predicting
through Jaimini's Chara Dasha)」と「カラカムシャとマンドゥーク・ダシャーによる予言(Predicting
through Karakamsha and Mandook Dasha)」に書かれています。

スワミ・パラマナンダ・サラスヴァティ師
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なぜラオ氏がこのような調査を行うことができたのかというと、それは彼のジョーティッシュ・グルが、一般的にイラストの載っていない字面だけの翻訳でしかない占星術の本に書かれていることよりも、パランパラ(伝統)のほうがずっと多くのことを伝えているとラオ氏に教えたからです。彼の実の母親は、彼の最初のジョーティッシュ・グルであり、そのような伝統的秘儀を多く知っていました。これらの一部は、「職業上での浮き沈み(Ups
and Downs in Careers)」「星を見つめる聖者たち」「惑星と子ども(Planets and Children)」の3冊に公開されています。
ラオ氏のマントラ・グルであるスワミ・パラマナンダ・サラスヴァティは、占星術がラオ氏の修行(サダーナ)にとって不可欠な部分であるとして、占星術をあきらめないように諭した最初の人物でした。後日、1982年になってから、偉大なるヨーギーであるスワミ・ムールカナンダジは、ラオ氏が、偉大ともいえる占星術ルネッサンスの先駆者になるだろうと予言しました。この予言が成就したのかどうかは、彼の調査結果として出版されたものを見ればわかります。
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