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ヨーギー・バスカラナンダ氏の死
この世の中で、これほど素晴らしい本を誰が書くことができるでしょうか。バスカラナンダ氏は、ボンベイ大学で英語を学び、学士号(名誉)を取得しました。インドが独立する以前のことです。その後、40年間修行し続け、1年のうち半年はヒマラヤで過ごしました。彼は占星術を徹底的かつ細部に至るまで極め、数千ものありとあらゆるホロスコープに適用しました。そして、人生における物質面に関する問いかけをするのを止めてしまいました。もうそういった話題にうんざりしてしまったのです。バスカラナンダ氏は、カルマの法則と運命がどのように機能するかを占星術によって知り、そして種々の煩悩(肉欲・怒り・ねたみ・プライド)や執着(出生・欲求・病気・悲しみ・死という固定された輪廻の輪を形成する原因)から、どのようにして抜け出すことができるのかという問いに対する回答が、ヨーガ的な生き方だということを占星術によって悟ったのです。
後年、バスカラナンダ氏は、占星術の実践を神への純粋な献身に昇華させました。晩年の10年間、彼はガンガーの水を飲むこととバージャン(註)をすることという、二つの処方箋しか出しませんでした。
1981〜2年頃、バスカラナンダ氏と連絡が途絶えてしばらくしてから、デリーで、ある有名な最高裁判所判事であるG.L.サンギ氏から電話がありました。
「ヨーギー・バスカラナンダ氏を知ってますか?」
「え?」
「グジャラットの。」
「はい。私のジョーティシュ・グルです。しかし、フルネームはヨーギー・バスカラナンダ氏と言います。」
「そう、同じ人です。今、彼と会っているところですよ。ある政府高官に占星術で見てもらったことを話して、あなたの名前を出したんですよ。あなたが私や私の友人について予言したことが的中したと誉めたんです。そうしたら、彼は笑って、『電話をかけて私のことを知っているか聞いてごらん』と言ったんでね・・・」
私は、弟のスバースと一緒に、ニチ・バグにあるサンギ氏の家に行き、ひろびろとした応接間で、多くの有名な法曹界重鎮がいる面前で、バスカラナンダ氏の足に触れました。
「これは誠意と献身を表すものです。ラオは自分との関係を否定して、私のことを知らないふりをすることもできたはずです。私がやったことは、ただ、占星術に反対する彼の議論を静め、占星術の役割が、単に幸運を占ったり適当に政治を占うことではなく、人々の霊性・感情・知性に関する完璧なポートレイトを描き、それをもとに人生を正しく形成するための重要な警鐘たりえるのだということを確信させただけです。人は、自分の運命を作り上げていくことができますが、それはすでに運命づけられている『カルマ』の枠内での話であって、それ以上ではないのです。まじめに取り組んでいる占星術家にはそれが見え、未来を予知できますが、しかしそれを変えることはできません。神のみがそれを変えることができる。だから私は占星術をあきらめ、今はバージャンのみに自己を捧げているのです。」
それ以来、私は毎年デリーでバスカラナンダ氏と会っていました。しかし、1990年のある日、彼はプラトゥーシャ・バラティヤ氏の家から私に電話をかけてきて、「会いに来ませんか?ここには2日だけいます。次はいつ会えるかわかりません」と言ってきました。
この言葉は、ダーツのように私の心に突き刺さりました。私は彼に会いに行きました。彼の目は遠くを見つめており、完全に忘我の状態にあり、聖者の気品があり、言葉には出さなくてもその一挙手一投足が「これが最後だよ」と伝えていました。
「できれば、シヴァラートリーにある私のアシュラムに来なさい。これが、私がシヴァラートリーに行く最後となるだろう」と彼は言いました。私は残念ながら行くことができませんでした。その後、バスカラナンダ氏が亡くなられたというメッセージが、アシュラムから届きました。
(つづく)
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