ラオに訪れた霊的な体験
サットヴァな食事は、霊的な生活の確固たる土台となるばかりではなく、健康にもたいへんよいものです。しかしすでに理性を失ったインドの医者や金持ちたちにそれをわからせるには何年もかかります。
アッサムを出て、それから一直線にコヒマのナーガランドに行ってからの旅行は、私にとって長旅でした。ここでは、私のことではなくてグルの話と占星術の話をするべきなので、要点を三点だけ述べるにとどめます。
純粋な食事、日々の瞑想、最小限の人と会うこと(人間関係を避ける)、これらは旅行中であってもできることです。閉ざされた家に住み、知らない場所と知らない人々がいて、私には十分に汚されない時間と隠遁が与えられました。この時から次の年にかけて、起きている時間ではなく、瞑想のような夢の中で私に神秘的な経験が訪れました。これによって、私はフロイトの夢診断の限界を知ることができました。カール・ユングの「心理学と錬金術」はより深い洞察力で精神現象を説明していますが、神秘的な分野や霊的な分野においては西洋のあらゆる著書は皮相浅薄です。インドの聖者はそれらを秘密にし、様々な理由から、グルとシシャ(弟子)の伝統を重んじてその経験を分かち合っています。いわゆる教養人に真珠を見せたところで、嘲笑をあびるだけです。私はこれを早くから認知しました。
1962年のインドと中国の間で軍事衝突が勃発する6ヶ月前、私は15日間続けてその衝突を霊視なビジョンとして見つづけました。私はこれを一人か二人の友人にだけ話しました。一人は私のことを馬鹿にしましたが、もう一人は逆に大騒ぎしました。このビジョンを見たとき、私たちはシッロンにいました。それは不思議な光景で、インドのPt.ネール首相が「私の心はアッサムの人々のところにある」と言っているのです。彼は人生において文字どおりヒマラヤでへまをしでかしたのに、あの臆病な首相がなぜ退陣しないのか、私たちは不思議に思っていました。しかし、中国がアッサム平原にのりこまないで撤退すると私が言いました。これに対して、何人かの友人はひそかに私に感心していました。
6年間、この現象は続きました。そしてそれはなくなり、私はおかげでほっとしました。というのは、世事に心が貼り付けられていると、周りの人々の汚いところがあれこれと見えてきてしまうからです。これによって、憂鬱になってしまうのです。霊視ビジョンが収まってやっと、私の精神的な至福が続くようになったのです(注*)。
| 注* |
霊的進歩は、スワァディスタナ・チャクラ(Swadhisthana:
性器のところにある第2チャクラ)で停滞することがあります。このときが、最も霊能体験が起きやすいのです。しかし、それを修行の達成であると勘違いしたら、その修行者は不幸です。 |
スワァディスタナ・チャクラは下から2番目のチャクラです。
その上にはまだ5つのチャクラがあります。 |
(つづく) |