出会い
北風の吹きつける肌寒い1月の夜、私は3度目の赴任先シーロンの地に降り立ちました。現在でも、これは私の生涯にとって最もロマンティックな旅でした。線路幅が1メートル足らずの汽車で私はラックナウからグワハチへ向かいましたが、その地は1962年10月に起きた印中の軍事衝突において、兵站のネックとなった悲しい場所でした。
駅には仕事仲間が出迎え、自宅に案内してくれました。彼は警察官とひとつの家をシェアしていて、そこでは彼の奥さんが待っていました。後になって私は彼女を過去世の母親ではないかと思うようになりましたが、彼女は、スワミ・パラマナンダ・サラスワティの弟子でした。その夜、バジャン(注:宗教儀式)のときに、「もしよろしければ」ということで私も誘われました。I.A.A.Sである私の友人S.クリシュナンが、洗濯物を陽気に頼めるようにするために、ちょっとだけ参加したほうがよいと言いました。
もともとバジャンというのはフォーマルな集まりではないわけだし、私は、「どちらにせよ最後まで座って全部見てみたい」と私は答えました。彼はしばらくして席をはずしましたが、私はそこに居続けました。ほとんどの信者はシルヘッティなまりのベンガル語で話していて、私には聞き取れませんでした。ベンガル人たちはベンガル人ではない私を完全に無視していました。そこに無視された非ベンガル人がいることをまったく気にもかけずに、彼らは母国語で話しつづけていました。私はそういう状況にはけっこう慣れていました。
バジャンが始まると、弟子の数名が「カエル飛び」を始めました。後になって見慣れてくれば、それが始まっても気にならないし、見ててたいくつにさえなります。あらゆるシャクティー・パート・サーダナ(シャクティー・パートの修行)において、グルの力によってクンダリニーが上昇すると、ムーラダーラの中で働いている活性かれたクンダリニーはダドゥール(カエル)・ジャンプを起こさせ、また、カーム・ビージャのために過度の性欲を生み出します。それから何年もたってわかったことですが、サーダナ(修行)がマニプーラやアナハタ・チャクラから始まる人は、奇跡と至福の両方を経験しますが、下の低いところから始まる人は、精神的に長期間の沈滞を経験します。なぜ私がこれを言っているのかというと、私はかれこれ30年もこのシャクティー・パート・サーダナの効果を目の当たりにしてきているからです。私は退職するまでに、これを少なくとも国内6ヶ所で見てきました。
しかし、シャクティー・パート・サーダナは、自身の霊的なパワーを弟子に手渡すことのできる、非常に秀でたグルが生きているという証しに他ならないのです。というのは、シャクティー・パートというのは、グルの霊的なエネルギーを弟子の体内に送り込むことだからです。国内には、これを非常にうまく行うグルが多くいますが、一般的には秘儀とされています。これは、デリーで催されているようなインチキのたぐいではありません。何年か前、ある信者グループは、dunloppilloの上で座ったままジャンプしてみろと言われました。それは浮揚と表現され、写真トリックまで使ってそれを「証明」しようとされました。そういうインチキを私はけっこう近くで見てきました。ちょっとした物理テストをすれば、それがダドゥール・ジャンプ(弟子がカエルのように飛び跳ね始め、クンダリニーのエネルギーが超活性化しているために自分自身ではコントロールできなくなっている状態)なのか、それとも個人が、あるいは集団が、柔らかいマットレスの上でわざとジャンプしているのか、簡単に見分けることができます。ダドゥール・ジャンプができる人は、堅い岩の上でも全く痛みをおぼえることなくジャンプできます。デリーでのこういった浮揚ショーをやっている輩は、岩の上に座ってやらせてみるべきです。きっと彼らは病院に着地するでしょう。
(つづく) |