「星を見つめる聖者たち」 3章 グルのグル Prabhu Bejoy Krishna Goswami Yogis, Destiny, and the Wheel of Time: 3rd Capter # 01
インドの歴史とは、「個人と社会全体が永遠性を追求する物語」であるとラオは言います。
インドの歴史 プラブ・ベジョイ・クリシュナ・スワミのアシュラム(註1)でも、その有名な弟子のキラン・チャンド・ダルヴェシュのアシュラムでも、グル・グラント・サヘブ(註2)が読まれていました。キラン・チャンド・ダルヴェシュは、スカムニ・サヘブのベンガル語訳もてがけました。なんと、シーク教徒でもアカリス(Akalis)でもないのに、偉大なシークのグルが行っていた修行を実践しているベンガル人がいたのです。醜い外見とは裏腹に、インドは宗教的調和(integrate)のある国家です。南インドのアーチャリヤたち、シャンカラ、ラーマージュナ、マダワ、ヴァラバ、ニムバルカといった方々が、インドに目覚しい調和をもたらしました。だからこそインドは、たとえ外国からの文化的に、宗教的に、言語的にさえも蹂躙されつつも、宗教的調和をいまだにしっかりと保っているのです。現代のインドが何を生み出したかを本当に理解できるのは、歴史家でも、マルクス主義に酔った左翼主義者でも、ゆがんだ知性と弁証的物理主義にとりつかれた人々でもありません。 インドの歴史とは、国王や侵略者の物語でもなければ、ブルジョワジーとプロレタリアートの物語でもありません。インドの歴史は、個人と社会全体が永遠性を追求する物語であり、世俗・物質・科学・技術の罠(わな)をかいくぐって、いつも生き生きとしています。 流行に流されず、途絶えることのない宗教性は、いつの時代もインドの歴史を形作っている力となっています。そしてその力は、アルヴァルス、ナヤナルス、偉大なギネシュヴァルであるチャイタニャ・マハープラブ、ナルシ・メタ(註3)といった人々を輩出してきたのです。それだけではなく、偉大なシーク教のグルたち、ラムチャリト・マントラ(註4)を実践するトゥルシダ人、チャットラパティ・シヴァジの堂々としたいでたちの裏にいらした偉大なるラムダス(註5)、という人々も輩出しています(訳者註:固有名詞の羅列なので、どれが人名で、どれが集団名詞なのかよくわかりません。どなたか、判別できる方がいらしたら、お教えください)。
(つづく)