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「ラオ先生のやさしいインド占星術−入門編」

 

 

 

 

 

 

星を見つめる聖者たち 1章
かの偉大なグル
 
That Great Guru
Yogis, Destiny, and the Wheel of Time: 1st Capter # 11

(No.11)

多くの人にとって、人生とは、多くの事を成そうとし、そしてかえてなにも達成できずに過ぎ去っていきます。

多くの決意を人生の中でなしながら、それを実行できないものは「ムールカ(馬鹿)」である』という聖典の中にあるくだりを自らのものとし、自らムールカと名乗るようになった聖者のお話です。

ムールカナンダ師

「占星術マガジン」に投稿した記事の中で、私はムールカナンダ師に言及したことが何度もあります。彼ほどマントラ(真言)の秘儀やプラヨグ(prayog: マントラを唱えながら、なすべきこととなしてはならないこと)に精通したヨーギーを、私は知りません。


ムールカナンダ師とKNラオ氏

ムールカナンダ師は、サンスクリットに関して類まれな知識を有し、自分で選りすぐったマントラについて、そのパワーを実体験して書籍にまとめています。しかし世の中にはけしからんヤツがいるもので、ムールカナンダ師のサンスクリットの知識や著書のおかげで世界的に有名になったにもかかわらず、ムールカナンダ師について一切触れようとしない輩(やから)がいるのです。

私は1984年に、国際裁判所の元判事である故ナジェンドラ・シンハ博士に関する記事を占星術マガジンに投稿し、その中でムールカナンダ師について触れました。アッラハバッドでその記事を読んだ人たちは、ムールカナンダ師にその記事を見せました。

しばらくして私がデリーで彼に会うと、彼から「私の名前を出したそうだが」と言われました。私は、「はい。これからもたくさん書くつもりです」と答えました。

インドには、精神世界に通じた類まれな人物の名前を表に出さないという風習があります。しかしこれは、今の時代にあって最も低俗な盗作行為をはびこらせるだけではなく、人々の心から感謝の気持ちを失わせるのではないかと私は常々危惧していたからです(注27)

注27: 外国人、特に西洋人は、いくつかの例外を除いて、ほとんどが恩知らずだということが、今になってやっとわかりました。

ムールカ」とは、サンスクリット語で馬鹿という意味です。 どうしてそんな名前で呼ばれるようになったのか、興味があったので彼に聞いてみました。

彼のもともとの名前はヴィディアランヤと言います。これは、知識の蔵、もっと直訳すれば、知識の森、という意味です。もともと、彼がグルから与えられた名前がこれでした。しかし、シャストラ(霊的で宗教的な記述)によると、多くの決意を人生の中でなしながら、それを実行できないものは「ムールカ」である、と書かれていたので、彼は自分のことをムールカと名乗るようになったそうです。

私たちはおろかで、彼はとても知的な師です。しかし、おろかな私たちは、彼に習って彼のことをムールカと呼ぶようになりました。

彼のことを紹介してくれたのは、実業家の故シタラム・ジャイプリア氏でした。彼は困ったときは占星術の鑑定をしてもらい、困っていないときでも、胡散臭い取引きの連絡役にはデリーに住む意欲旺盛な占星術家(私のこと)を使っていました。

ある日、私は彼に「これから、君の鑑定を有料にするからね」と言いました。私が鑑定に金を取らないことを知っている彼は、さすがに驚いてこう聞き返しました。

「なぜ急に有料になるんですか?」
「ムールカナンダ師に会わせてくれるまで、君のことを鑑定しないことにしたんだ」

ムールカナンダ師は、デリーの近くのガジアバッドという町にある、シタラム・ジャイプリア氏の家に住んでいました。それ以来、1979年から1985年まで、私は年に4〜5回、ムールカナンダ師とお会いすることができるようになりました。このころの話は、私の書いた「Astrology, Destiny and the Wheel of Time」にも載っています。

1980年に私のグルがサマディに入られた後(サマディに入るとは、ヨーギーが自分の肉体から出て行くことを決めること、つまり死を決定されることです)、私は占星術をやめようと考えていました。これは1975年以来の心の揺れでした。

この時期、ムールカナンダ師は私に占星術を続けるよう励ましてくださり、そればかりではなく、いくつかの秘儀も教えてくださいました。

「イェー・ヴィディア・ルプタ・ナヒ・フイ・ハイ。アスト・ハイ。アスカ・フィル・ウダヤ・ホガ・アプケ・マディヤム・セ」、

つまり、

「ジョーティシュ、あるいは占星術の知識は、失われているわけではなく、隠されているだけだ。それは夕日が沈むようなものだ。それは必ず復活し、君はそのときの伝達者となる」


と言って、私が占星術を続けるように励ましてもらいました。

私はマハートマの言葉を信じています。現代のインドのような状況はいつか必ず変わり、私は自分に与えられた占星術家としても使命を果たすときが来るでしょう。どういう使命なのかというヒントを、私は他の人々からも得ています。しかし、ここまではっきりと私の使命を言及したのは、彼だけでした。

現在(1995年)、ニューデリーにあるバラティヤ・ヴィデヤ・バーヴァン(バラティア=インド、ヴィデヤ=知識、バーヴァン=施設)と呼ばれる学校では、私が設立した世界最大の占星術教室が運営されています。そこでは、いつも学生たちがグループ研究に携わっており、その成果は、新たな道を指し示す素晴らしい占星術の成書として執筆・出版されています。これらの本は、インドで書かれた占星術の本としては最高の部類に属するだろうとの評価を得ています。

はっきりと賛辞を述べる傾向の強いアメリカ合衆国では、「ラオが来る前と来た後とでは、アメリカのインド占星術は全く変わった」と人々の口に膾炙(かいしゃ)されるほどだそうです。

ボストンには、私をとてもよくもてなしてくれるチャールズ・ドルトマンとダーレーンという人物がいます。1994年12月、彼らの家で、私は西洋占星術の巨人ロバート・ハンド博士と10時間話し合ったことがあります。彼は、私の考え方が気に入ったと言ってくれました。その後、ハンド博士が別の人にこういう手紙を書いていることを聞きました

「ラオはアメリカに来たインド人の中で最高の人物だ」(私のインド占星術に関する講義は、アメリカの技術効率促進のために、カセットテープに録音されました。この賛辞は、そのテープの紹介文として使われたそうです)

このように、ムールカナンダ師は未来を予見することができました。この使命を達成したとき、きっと私は突然死ぬか、突然占星術をやめることになるでしょう。

ムールカナンダ師は、マントラの秘密を知っていました。あるとき、当時のインド最高権力者インディラ・ガンディーとのトラブルで悩んでいた友人が、ムールカナンダ師からプラヨグ(実験)をするようにとのアドバイスを受けました。この友人はそれを実践しました。彼に報復攻撃を仕掛けようとしていたインディラ・ガンディーは、その結果、多くの困難に見舞われることとなりました。

二人っきりのとき、私は彼から霊的進化に関する秘儀をいくつか教えてもらいました。ある時、二人っきりのとき、「最近、何かひどいことがあったんじゃないか?」と聞かれました(注28)。そして、その経験の意味と、後になってそれがどうなっていくか、教えてくれました。これを聞いたのは、1982年のことでした。その後、私は言われたとおりことを4年間経験しつづけました。

彼はお金には一切触れず、弟子を一切持たず、アシュラムを作らず、米や麦などの穀物を40年以上食べていませんでした。フルーツと野菜だけで生活し、食事はいつも夜にしかしませんでした。「Astrology, Destiny and the Wheel of Time」に詳しく書きましたが、たった6ヶ月の間(1984年12月から1985年5月)に、スワミ・ムールカナンダ師と私の母という、私の偉大な占星術グルが二人とも、同じ養護施設で息を引き取りました。彼はヨーギーしか知りえないインド占星術の秘密のチャクラの使い方を知っていました。私の占星術にとって、この偉大なヨーギーの死は取り返しようのないほどの損失でした。



KNラオ氏の母親
(彼の最初の占星術のグルでもある)

注28:

私がロマンティストで、そのためにたいへんな目にあったことを、彼はどうやって知ったのかわかりません。

(つづく)

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