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「ラオ先生のやさしいインド占星術−入門編」

 

 

 

 

 

 

星を見つめる聖者たち 1章
かの偉大なグル
 
That Great Guru
Yogis, Destiny, and the Wheel of Time: 1st Capter # 03

(No.03)

☆わがグルの検証

私のグルについて、占星術による検証をここで行いたいと思います。彼ご自身のホロスコープを引用し、かつ普通の人なら「まさに奇跡とはこのことだ」と言えるよう出来事と照らしながら見ていきましょう。

(a) 人は、ホロスコープに現われないことは経験しません。
(b) 偉大な予言をする場合、カール・チャクラ・ダシャーは最適なダシャーです。
(c) 占星術家は、サットヴァ(善性)の食物を摂り、熱心にジャパム(真言誦唱)を行わなければなりません。
(d) 占星術に誠実に取り組むなら、生活やこの世への執着が薄らぐ方向へと導かれるはずです。

まず、以下のホロスコープについて検討してみましょう。これは、カルカッタの弁護士のものです。

*********************************

SAT(R) LAGNA    RAHU
Darapada
  


シュリ
チャンディダス
チャッテルジ
1908.10.26  
 
  
Upapada


JUP
VEN 

KETU

   MOON
MER(R)
SUN
MARS

Asc 21'35
Sun 10'06
Moon 24'40
Mars 17'15
Mer(R) 14'58
Jupiter 15'46
Venus 28'08
Sat(R) 12'17
Rahu 05'48

       MOON
KETU
MARS
  
MER

NAVAMSHA   
  
SUN

JUP

VEN

RAHU   LAGNA
SAT
MARS

このホロスコープは、チャンディダ・チャッテル氏のもので、1975年以降、おそらく1977年に入手しています。1968年の話から始めましょう(注8)

注8:1948年から1978年という重要な年表を頭に入れておいて下さい。

私はカルナタカのグルヴァバルガ地区についてはよく知りません。しかし、カルカッタや他の都市で、占星術に似たオカルト・サイエンスの実践者に何人も出会いました。彼らの方法は、出生の時刻・日付・場所を基本として導き出す従来の占星術とは違いました。たとえば、オカルト・サイエンスの中には、「アングイシュタ・シャストラ」と呼ばれる、単なる親指の研究があります。アングイシュタとは親指という意味です。

私は多くの「アングイシュタ・シャストラ」に出会いましたが、その中で本当にすごいと思った人物はアトメシュワル・スワミ氏だけでした。彼は肉付きのよい印象的な人物で、いつも叔父のジャナルダン・スワミが付き添っていました。1968年、カルカッタにある私の法友バトゥク・バイ氏の事務所で、彼らとは偶然出会いました。そのとき彼は、ある言語で、親指のリーディングをしていたのですが、相手の人たちは彼の言葉が理解できませんでした。横でよく聞いてみると、彼がヴァーラナシー・スタイルのヒンデゥー語のような言語を、ひどい南インド訛りで話していることがわかりました。当然、ベンガル州の人やグジャラート州の人には、彼の話は聞き取りづらいものがあります。私はゆっくりと彼の言葉に集中しました。最初は訛りがひどく聞き取りづらいこともありましたが、じきに彼が何を話しているのかすべて理解できるようになりました。そこで私は、カルカッタのビジネスマンたちが理解できるように、英語とヒンドゥー語で通訳し始めました。

それ以来、私はアトメシュワル・スワミに気に入られ、重要な鑑定にはすべて私が同席してほしいと言われました。勤務時間終了後、私の部屋でもかまわないから、すべて私の都合に合わせてくれることでした。私は、メモを取らせていただくことと、後で彼の鑑定を検証させていただくことを条件に同意しました。彼は喜んで私の条件を受け入れてくださいました。こうして親密な友好関係が成立したのです。

後日、私は彼の技法を文章化して、彼にとても長い感謝状を送りました。そしてその一部(もちろん、私の名前を入れないで)は、1969年の「イラストレーテッド・ウィークリー(注9)」にも掲載されました。一部をここに紹介しましょう。

(a) 親指を研究した後、彼は対象を3つのカテゴリーに分類した。評価数が5000以下の場合、平凡なタイプ。5000〜99,000の場合、人生で成功するタイプ。そしてそれ以上の場合、ほとんど希だが、何か新しいことを手がけるタイプ(注10)
(b) これは、ラヴァナ・サムヒタに基づくもので、カルナタカ、特にグルバルガ地区のいくつかの家族で受け継がれてきた技法です。
(c) これはグル・ムキ・ヴィディア(グルから弟子に受け継がれるもの)で、門外不出であり。また、男性に限られている(注11)

注9: これは、一時はインドで最も権威のある週刊誌でした。残念ながら、つまらないセンセーションを広めようとするクシュワント・シンハ編集長という非常に下劣な編集者の登場によって、廃刊は避けられませんでした
注10: モレナのマン・シンハ氏とマディヤ・プラデシュのビンド氏のような高貴な方々は、このような高い評価数を取っていました。マン・シンハ氏は、多くの村人から尊敬されていました。
注11: 女性は、結婚して秘密を別の家庭に持ち去っていってしまうからです。


アトメシュワル・スワミは、大変素晴らしい予言をいくつか行いました。短いタイムスケールのものでしたから、予言が成就したときには数週間足らずで検証することができました。みごとな予言を2つ紹介しましょう。

まずは、カルカッタの最高裁判所の裁判長の後任を務めた、P.B.ムケルジ裁判官に関する予言です。1962年にPt.ジャワハルラル・ネール(注12)の発言から考えると、ムケルジ裁判官は不利な立場に立っていました。しかし、「何があろうと、ムケルジ裁判官は1970年2月までには裁判長になる」とアトメシュワル・スワミは主張していました。1970年1月、私はラジコットにいて、P.B.ムケルジ氏が昇進した、という書簡を受け取りました(注13)。

さらにみごとだったのは、1969年の連邦議会分裂後(注14)、連邦議会の二流のリーダーといわれていた人物に関する予言でした。アトメシュワル・スワミは、「あなたは8年後、デリーの中央議会の大臣になるだろう」と彼に言いました。1977年、それは成就しました。この驚異的な予言は忘れられません。一方、カルカッタのビジネスマンに対しては、楽々確信をもって、商売に関する予言から性生活に関する内容まで予知して見せました。このような場面に出くわすと、私は驚きと喜びを感じざるを得ません。これ以上は詳しく語りませんが、人々が彼を大変尊敬していたことは明らかです。

注12: インドの初代首相(1947〜1964)
注13: 後に、ラジコットに配属されました。
注14: この時から、インド首相のインディラ・ガンディーは、インドの民主主義を崩壊させようとしていきました。

私のグルは、占星術に敬意を払い、基金からアシュラムに惜しみなく金銭を贈っていました。アトメシュワル・スワミにも、古来の知識を維持していることに敬意を払っていました。アトメシュワル・スワミは、アシュラムに住んでいる人や訪問者に対してみごとな予言をして見せ、そこにはいつも私が同席し、その内容を記録していました。私が彼のことを手放しに称賛すると、人々はいつも私にこう聞いてきました。

「あなた自身に対する予言は一つも当たってないそうですが、なぜそれでも彼を称賛するのでしょうか?」 

私の答えはこうです。

「占星術家は誰しも、失敗する確率というものがあります。私自身の予言に関しては、その5%くらいの小さな確率としてはずれましたが、だからと言って彼の90パーセント以上の成功率を称賛しない理由にはならないでしょう?」

1969年の年末に、彼も私もカルカッタを後にしました。それ以来、先ほどホロスコープを紹介したチャンディ・バブ以外は、誰も彼に鑑定を依頼しませんでした。そのチャンディバブでさえ、当時はこういう風に言っていました。

「私は、自分の将来について、もうすべて知っているんです。1948年のある日、庭を散歩しながらグルジが私の未来に付いてすべて語ってくれました。私の未来のこと、妻の未来のこと、そして子どもたちについても教えてくれました。これまで、グルジがおっしゃったことはすべてその通りになっています。だから、私は誰にも人生相談をする必要性を感じていないのです。」

ところで、さらに驚くべきは、1978年、私の2度目のカルカッタ駐在期間が終わろうとしていたころのことです。アトメシュワル・スワミが、再びカルカッタをとても短い期間だけ訪れました。1969年の「イラストレーテッド・ウィークリー」の記事以来、彼にはボンベイとグジャラットで金持ちの固定客がついていました。このとき、彼はもはや親指さえ見ることなく、楽々と予言を行っていました。

「どうしてこうなったのですか?」 と私が聞くと、彼は「ダッタトレーヤ・ヤントラを礼拝していたら、大変いい結果が出始めた」と教えてくれました。彼の天賦の才は、すでに常人には及ばない域に達していました(注15)。このとき初めて、彼は私に関する正しい予言を与えました。

「あなたはデリーに転任することになり、そこからヴリンダヴァンを訪問することがとてつもなく多くなる。ヴリンダヴァンでは、バンヤン樹の下で類希な聖者と出会うでしょう。彼はスリマッド・バグヴァタムのジャーダ・バーラタを髣髴させるような伝統的なアヴァドゥートです。」

当時、これはほとんど現実味がありませんでした。しかし、後に私はナガリダス・ババという聖者に出会うこととなりました。1978年7月から、彼がサマディに入る1988年の7月まで、私は毎月2度、ババにお会いできるというこの上ない幸運に恵まれたのです。

さて、チャンディバブがなぜ、グルジが彼に語ったことを私に教えてくれないのか、私は不思議に思っていました。私はいろいろな聖者に会ってきましたが、グルジは、当てようと思えば誰の未来でも、絶対の正確さをもって言い当てることができました(注16)。滅多にそういうことはされませんでしたが、私は誰よりもそれを見るチャンスに恵まれていました。にもかかわらず、私はチャンディバブに対する予言をチャンディバブからもグルジからもまったく聞いていませんでした。

注15: 私の知り合いのヒンドゥー教徒は、ムスリムの女性に恋してしまったがために非常に苦しんでいました。以前のように親指を見ることもなく、彼はそれを言い当てました。
注16: 今になって思い起こしても、グルジほどこの分野に優れた人はいないと言えます。あそこまで瞬時にすべてを見通せる人に、私は今まで出会ったことがありません。

1978年、私がデリーに異動する2,3ヶ月前のある日、チャンディバブは、彼のホロスコープと彼の妻のホロスーコープを私に見せて、鑑定を依頼してきました。彼は自分の未来をすべて知っていると言っていたのに、どうして鑑定してもらいたがっているのでしょう? しばらく話す内に彼は落ち着いてきて、「不安だった。狼狽していた。」と、心の内を明かしま始めました。彼のような優秀な弁護士は、一見、頑固で尊大に見えますが、実は対面を保つために自己の感情を抑えていたのでした。

私は、彼のホロスコープを次のように分析しました:

チャラ・ダシャーの結果: メーシャ(牡羊座)が1913年に終わり、ヴリシャ(牡牛座)が1916年、ミトゥーナ(双子座)が1920年、カラカ(蟹座)が1929年、シンハ(獅子座)が1939年、カンヤ(乙女座)が1950年、トゥーラ(天秤座)が1960年、ヴリシュチカ(蠍座)が1970年、そしてダヌー(射手座)が1978年まで。
今はダヌー-ダヌー期。第7室のダラパダから、ひどく傷付いています。

ヴィムショッタリ・ダシャーでは、金星-水星の時期です。第7室の支配星のダシャーで、逆行する水星が第7室に在住しています。彼の妻は大丈夫だろうか? ジャイミニでは、次のダシャーのマカーはウパパダを含み、彼の人生に変化が起きることも意味しています。

「あなたの奥さんにとって、実に良くありません」と彼に伝えました。
「わかってます」と一言答えて、彼は奥さんのホロスコープを差し出しました。

(つづく)

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